シン・エヴァ 雑多な感想(ネタバレあり)

  • 序盤のレイの描写がすごく好き。萌えオタクになった
  • 鬱病シンジくん、完全にQの後の庵野監督なんだろうなと思いながら観ていた
  • これはQ放送時から思っていることだが、元々の予定ではQとシンは同時上映だったので、Qだけだとわからないのはしょうがなくて、やはりシンで答え合わせが行われていた
  • 常に新しいことに挑戦するエヴァが好きなので今回のプリウィズありきの撮り方も楽しんだし、うまく活用されてるところもあったが、まだ迫力不足な面は否めない
  • 自分の好きだったアスカは孤独や承認欲求への飢えにもっと必死で混沌とした存在だったが、新劇の式波・アスカ・ラングレーはあくまで孤高であろうとすることで自分を守っていて、本当は誰かに必要とされたい、自分のことを見てほしいという気持ちが爆発することもなくシンジさんに導かれケンケンとよろしくやっていくことになり、もう惣流・アスカ・ラングレーはいないんだなと感じた。それだからか、シンジに向かって「あんたのこと好きだったんだと思う、だけど先に大人になっちゃった」って言ったときはむしろ何か納得感があった。まあこの二人が付き合っても絶対うまくいかないしな。相田ケンスケは殺す
  • トウジがいいやつすぎる…聖人か?エヴァは盛んに聖書を引用するけどそれは鈴原トウジイエス・キリストの生まれ変わりであることを示唆していたのか?(違うよ)
  • 槍が増えまくってたけど急にいろいろ言われてもよくわかんないよ。まあこれはQからの謎なのでよく考察すればわかるようにはなってるんだろうけど
  • 裏宇宙でわざとCGをチャチなセットにしたり、旧劇でもやってたような表現を強化してもう一回やったり、メタ表現をやってくれるとエヴァって感じがするね。現実に帰ろう。僕は正直もしかしたら庵野監督が実写で出てくる可能性すらあると思ってたけど流石にそれはなかったね。
  • 加持リョウジが「渚司令」って呼んでた下りは何?AAAヴンダーを加持リョウジが一人で作っていたとも思えないしその辺の話なのか?これは今度また見に行った時によく考えたい
  • カヲルくんがシンジを愛していたのは「シンジを愛することで自分が救われていたから」、いい話だ。いい話か?たぶんいい話だと思う。真面目な話、他人を愛することで救われる人は珍しくないし、良い結末にもなりうるが、時には独りよがりな愛情になってしまうので微妙なところではある。愛する人にもう一度会うために世界を滅ぼそうとする奴とかな。そう、この後シンジが「カヲルくんは父さんに似ている」と言っていたのはゲンドウがユイを愛すことで救われていたことと重ねてるんだと受け取った
  • 碇ゲンドウの生い立ちが語られ「他人と関わるのがしんどい」「ピアノは正しく音を返してくれるから好き」みたいなことを言い始めたとき、急に俺の話をするなと思った(僕にとってのピアノはプログラミングだが)。エヴァはいつも急に俺を作中に登場させてくる
  • ゲンドウみたいな人がユイのような存在に固執してしまうのはよくわかる。ユイを知りそして別れてしまったことで孤独の辛さを知ってしまった話も共感すると同時に、この人うちはサスケと同じこと言ってるな…と思った
  • 旧劇ではゲンドウのことや碇親子の決着はほとんど放り出されたので、ちゃんと親子喧嘩してゲンドウも救われて終わりを迎えられたのはすごくよかった
  • エヴァが串刺しになるシーンは正直ちょっとシュールで焼き鳥みたいだと思った
  • マリendは流石に唐突すぎる。庵野の妻のモヨコの存在を知っていて、マリのモデルなんだと解釈できればいいが、場外の監督の私情を知らないと成立しないプロットってどうなの?まあ、単に宣言どおり迎えに来て現実に連れ帰ったという話だと思えばいいのかもしれないが。
  • ラストの大人シンジの声は庵野監督本人でよかったと思う(風立ちぬもやったことだし)んだけど、流石に恥ずかしかったのかな
  • シンジ=庵野監督=お前らが立ち直ってエヴァのキャラクター達を未来へ送り出し、自分自身もエヴァの呪縛から解放され大人になり現実へ向かって走り出していくという終わり方はエヴァが扱ってきたテーマを考えても素晴らしい結末だったと思う。
  • ゲンドウの話をしなきゃいけなかったり、全てに決着をつけなきゃいけなかったりで尺的に無理なのはわかるが、レゾンデートルや他者との関わりといったテーマが扱われなかったのはちょっと物足りなかった。まあ、その辺はもうアニメは旧劇で散々やったし、エヴァ庵野監督の今の気分を映すアニメなので、間違ったり失敗したりたまにうまくいったりを繰り返しながら前に進んでいくこと、責任を取って大人になることが今回の主軸になるのは当然かもしれない。