やさしい人のふりをする

僕は、インターネットに張り付いている多くの人がそうであるように、人間性に問題がある。 最初に付き合った彼女には「精神科に行くことをおすすめします。私ではあなたを救えないし、専門家に見てもらうべきだと思う」と言われてフラれたし、前の彼女にはサイコパスとかソシオパスとか酷い言われようだった。弁明させてほしいのだが、僕に良心はあるし、共感性はむしろ高いほうだと思う。僕の知る限り、僕の性質を表す言葉は今のところ存在していない。

人は変われない。より良い人間になろうとずっと思ってきたし、あらゆることは努力で改善できると信じてきたが、壊れた心は直らないというのが最近出した結論である。生まれ持ったものか、育った環境かわからないけど、うまく普通になれなかった人間は最後まで普通にはなれない。できるのは、表面を取り繕ってまともなふりをすることだけである。

中国語の部屋」という思考実験を知っているだろうか。小部屋にイギリス人を閉じ込め、紙切れに中国語を書いて小部屋の中に渡して質問するという話である。当然、イギリス人は中国語が読めないのだが、部屋の中にはマニュアルが置いてあり、こういう文字列にはこういう文字列を書いて返答をするという規則が全て書かれている。すると、部屋の外にいる人は「この小部屋の中には中国語を理解している人がいる」と考えるが、実際には全く理解していないイギリス人がいるだけである。

模範的な人間と同じ気持ちになれなくても、中国語の部屋のように取り繕っていればほとんどはうまくいく。しかし、これは恋人などの親密な関係でやるには厳しいものがある。どうやっても自分の価値観や異常なふるまいが出てきてしまう。一方で、僕らには他人が必要だ。少なくとも、僕は一人では生きていけない。他者依存なのだ。不完全な自分を受け入れてくれる人を探し、その人に明日も赦されていることを祈るしかない。そのために、自分もまたできる限り全てを許し、寛容さを持ち、やさしい人のふりをしたいと思う。だめでも、間違ってても、好きだよ。