男女の非対称性(あるいは女子大生の意味不明さ)

僕の大学は非常に男性の率が高く、一般的なキャンパスライフとは男女の機微も少し違っているように思います。

たとえば、今日僕は体育だったのですが、グループの中に1人女の子がいて、練習の時に余って、僕のいる卓球台の近くにぼんやり立っていました。当然、声をかけなければ、と思うのですが、声をかければ周りの男たちに反感を買うかもしれないし、女の子自身にも下心と受け取られて嫌な顔をされるかもしれない、そもそも僕としたって嫌でも数少ない女子ですから全く意識しないというわけにはいきませんし……いや、そうはいってもこのまま放っておくよりはよかろう、余計なことは考えずに一緒にやりませんか?と声をかけよう、などと逡巡した結果、ふと思いついたように声をかけました……。

さて、このときこの女の子は実際どう思っていたか。それが気になるのです。これが男女比半々であればともかく、うちの大学にいる以上、仮に彼女がスーパーゆるふわ生物だったとしても自分の希少価値を少しは理解しているはずです。はたして、「相手が意識せざるを得ないこと」を意識しているんでしょうか。もしくは、環境に適応して何も考えていないんでしょうか。反応を見る限り、男慣れ著しいという感じではありませんでしたが……。難しいのは、ここにどうも男女の非対称性があるようです。一般に、大学生男子は異性をめちゃくちゃ意識しています。僕は普段あまり意識しないほうではありますが、それでも異性を全く意識していないと言ったら嘘になります。そして、僕の知る限りの一般的な大学生男子というのは、常に異性を品定めし、つきあいたい、セックスしたいと、まるでゲームソフトの商品棚を眺める小学生みたいなものです。それはそれとして、女子大生というものは僕らと比べるともっとスマートに生きているように見えます。そして意味不明です。彼女らは、深く自分と相手の立場を理解し上手に立ち回ってるように見える一方で、唐突に利害からかけ離れた行動をとったりします。男として意識してないと言った一週間後にはセックスしてたりします。男は非常に本能に近いところで行動しているのに対して、女は一度思考をブラックボックスに入れてから行動につなげているかのようです。

つまり、僕が言いたいのは、仮に僕がこの大学の女子であれば、異性に意識されていることを意識するが、男女は非対称的で、僕とは違う思考回路を使うようなので、女子が何も意識していないのか、意識しているのか、意識されていることを意識しているのか、何も意識していないふりをしているのか、何も意識していないと思い込んでいるのか、僕には想像し得ないということです。まあ、どうでもいいんだ、相手の心のうちがわからずとも、好きか嫌いか、それだけさ、僕だって、ただの男だ。

チェリー

アルコールで頭が回らないけども、適当に日記を書く。

 

お昼をたべたあと、教習所に行って、教習が終わり次第、上野に向かった。親戚が、遅い誕生祝いとしてちょっと高級な韓国料理に連れていってくれた。偶然知り合う機会があって、その時に僕の親戚のお気に入りになった友達も呼んで、おばあちゃん、おばさん、いとこ、友達、僕の5人で食べた。お酒も飲んだ。食べてるあいだじゅうぼんやりと元カノに会いたいなと思っていた。そのあと、池袋で遊んでる高校の友達と合流して、ボウリングをした。僕のチームは賭けに負けてアイスを奢った。会いたい。そしてゲーセンでマジアカをみんなでやって帰った。

ほんとは、もっといろいろおもしろいこともあったんだけど、まあ、起こった事実だけを書けばこれだけだ。眠すぎてなにも思い出せない。寂しい。つかの間の悦楽は、楽しかった過去を想起させてしまう。楽しかった昼は、寂しい夜を作る。だめだ、当たり前のことをダラダラと、もう寝よう。

友人関係

6月10日、大学の友人の誕生日だった。憂鬱だった。

そもそも僕の大学の友人たちは、よくあるように、お互いに誕生日を祝う習慣があるのだが、僕だけは毎年その慣例から外れている。僕が仲間内で一番誕生日が早いのに全くアピールしないからである。無理なのだ。祝われてもうまくリアクションがとれず場を気まずくさせてしまう。それは周りの人もわかっていて、無理やり祝おうなどとはしない。どうでもいいというのもあるだろうが、まあ、優しい人たちだから、気を遣ってくれているようである。僕も、誕生日周辺は大学を休んで徹底的に避けている。

さて、今日は当然友人の誕生日なので、当然みんなで何かを買おうということになる。そうなると問題になるのは僕の扱いである。”こいつに金を出させるべきか、それとも出させないべきか”、また気を遣わせるのである。もう、嫌です。

小中高と、なぜか僕を崇拝する人がいた。小中の人は、小学二年生のときにこちらに引っ越してきて、気づいたらどこにでもついてくるようになっていた。僕がサッカークラブに入ればそのクラブに入り、僕がやめればその子もやめ、同じ塾に入り、作文に恥ずかしげもなく親友のまるまる君と書き、毎日教室の前で僕を待ち構え(彼の教室は二階で僕の教室は三階だったにも関わらず、である)、僕のつまらない冗談にも笑い、僕のどうでもいい一言も大切にするような人だった。最近聞いた話では、僕がプリントの切れ端に落書きした「生きてるってすばらしい!」という文にいたく感動し救われたらしい(最初その話をされたとき僕は全く覚えてなくて「え?そんなこと書いたっけ?」と言い、これでは彼の想い出を傷つけてしまうと慌てて思い出した!と言った、そのあと本当に思い出した)。

今も、同じ塾でバイトしているが、少年だった頃に比べるとかなり距離が遠い存在になった。今でも会えば気兼ねなく話すが、バイトで顔を合わせない限りはお互い会わないし連絡もしない。ただ、あいつは授業で毎年僕の少年の頃のエピソードをいろいろ話すので、生徒づたいにそれを聞くたびに、昔を思って懐かしむのみである。親友だって言えなくてごめんね。怖かったんだ。

高校の人は、本当に宗教のように僕を崇拝していた。同じ部活だったのだが、他の部員たちにもあれは宗教と言われるレベルだった。むしろ今でも「××はまだまるまる教やってんのかよ」と言われている。僕がいない時でもいつも僕の話をしているらしくて僕の一挙一動は弓道部に筒抜けだった。僕がいる時も常にまるまるはすごいという話を延々としていて嬉しいを通り越して怖かった。承認欲求の塊である僕が怖がるのだから相当である。というか、彼はアスペルガーじみたところがあって、当時今よりもずっと偏屈だった僕はよく彼の一言に怒っては「もう二度と口を聞かない」と宣言したものだった。もちろん、三日と経たないうちに僕から話しかけてしまうのだが。そうでなくても僕はいつも教室で浮いてる彼のことを嫌いだと公言していて、でも彼は僕のことを好きだと公言していて、そうして傍目に見ればいつも一緒と、こう書くとやはり僕が悪い人である。申し訳ない。今はお互いコミュニケーションがずっとうまくなって、ときどき会っては仲良く遊んでいる。このあいだ僕と彼ともう一人の部員と三人で、僕が彼女と別れたときにラブホ男子会をした。そこで、僕と彼は高校のとき同じ人を好きだったと知った。ある程度察してはいたけど。しかしそのヒロイン、それはクラスメイトであり僕らの部活の部長であったのだが、どう見ても僕らを好きではなさそうだったので、なにも起きずじまい、本当によかった。

僕らは高校卒業後お互いに彼女を作り晴れてホモ疑惑を払拭し、彼女はまだ処女だが大学の先輩を好きらしい。彼から聞いた。去年あたりに部長から誘って彼と部長とで2人で飲んでいて正直心穏やかではなかったのだが、それはその恋愛相談だったらしい。まあ僕はまだそのとき彼女いるの知られてなかったしね……。多くは望まないから、彼らとはずっと良い友人でありたい。しかし果たして、もしこれから状況が変わって、部長が彼と付き合ったとしたら、僕は祝えるだろうか?彼は高校時代仮に僕と部長がつきあってたら祝福してたと言い切っていた。僕は間違いなく嫉妬と劣等感でおかしくなっていただろう。僕は本当に悪い人である。君のほうがずっと立派な人間だったんだ。僕は褒められるような人ではない……。

かなり話が逸れたが、要するに今まで僕は完全に受け身な、そして1対1の友人関係しか築いてこなかったのである。大学は、そうはいかないようである。いや、大学にもやたらと仲良くしてくれて、俺はまるまると一番仲が良いんだと言ってくれる人はいるが、、、、、書いていて気づいた、変わったのは僕だ、他人に怯えるようになり、周りを振り回さなくなり、じっとしているようになった。昔のように強引に今度はどこそこに行くぞ、と連れ回すようなことは全くしなくなった。むしろ誘いを断ってばかりである。高校の友達は無理やりラブホにだって連れて行くのにね。

こんな自分語りを最後まで読んだ人がいるとは思えないが、書いているうちに少し発見があったのでよかった。こんな文章を最後まで読んでくれた人がいたとしたら申し訳ない。ありがとう。

自己紹介とブログについて

2018/07/26 追記

過去のブログの記事をこのブログにインポートしました。そのため、この記事では昔使ってたハンドルネームやアカウントの話をしていますが、一応そのまま残しておこうと思います。

追記終わり

 

 

こんなブログを誰が読むのかは疑問ですが、一応自己紹介をしましょう。まるまるです。1994年生まれの男です。

はてなブログを使うのは初めてではないのですが、みみずく通信はいろんな人に見られる可能性があって、あまり思うままに殴り書きできるものではなくなってしまったので、チラシの裏的な役割のブログを作ろうと思いまして、このブログの開設に至りました。

僕が初めてブログを書いたのは中学二年生の時で、当時はそれなりにネットの人とも交流があったのですが、高校以降はあくまでTwitterの付属物という形で、あまりブログメインで活動することはありませんでした。

まあ、このブログも一応

まるまる (@marumaloid) | Twitter

の付属物ではあるのですが、marumaloid自体もひさしぶりの完全にリア友を遮断したアカウントですので、こちらも合わせて、普段言わないような自分の内側まで、好きに書いていきたいなと思っています。よろしくお願いします。