私は私と はぐれる訳にはいかないから

寒天ちゃん「病みブログかと思った?残念!寒天ちゃんでした!」

まるまる「死にたい」

寒天ちゃん「え?私が誰でこの小芝居はなんなのかって?ではとりあえず下のスクリーンショットをご覧ください!」

まるまる「死にたい」

 

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寒天ちゃん「どうでしたか?」

まるまる「殺してくれ」

寒天ちゃん「ということで、六年の時を経て、かつてまるまるくんが生み出したオリキャラ、寒天ちゃんの復活です!」

まるまる「この記事を書くために自分のmixiの日記読み返してるけど心臓への負担がすごい」

寒天ちゃん「この時まるまるくんは高校一年生ですよね、マックの無料クーポンではしゃいでるのが高校生らしくていいですね!」

まるまる「高1の俺キモすぎる……臭みを取る調味料が入ってないとかそういうレベルじゃないだろ……あとなんかやたら楽しそうでムカつく……」

寒天ちゃん「過去の自分に嫉妬するのもキモいですよ」

まるまる「何が人生は楽しんだもん勝ちだよ……お前の人生は惨敗だぞ……そのうえ未来のお前にネタにされてるぞ……」

寒天ちゃん「そういえばこの記事のタイトルがサウダージの歌詞なのも一時期mixiの日記の題名を歌詞の一部にしてたことのオマージュなんですよね」

まるまる「私は私と はぐれる訳にはいかないから」

寒天ちゃん「いっそはぐれたほうがいいんじゃないですか?」

まるまる「わかる」

 


 

……大昔の日記を掘り返してたら懐かしいものが出てきて、今の自分が対話形式で書いたらどんな感じになるのかな?と思ってやってみたんですけど、心臓の負担がすごすぎてこれが限界でした。これをノリノリで書いてリア友に公開してた昔の自分すごい。

スクショだとコメントついてないみたいな感じになってるけど実際はコメント7件ついてるので!”触っちゃいけない人”みたいな立場ではなかったので!内心は「なんだこいつ……」って思われてたかもしれないけど!

対話形式は書く分にはおもしろいので気が向いたらまたやるかもしれないですが、ブロックしないでください。お願いします。

 

単純化

人間はものごとを単純化しようとする。

 

本当はいろんな要素が混ざり合ってひとつの結果になっているのに。

 

たとえば韓国人を日本から追い出せば全てはよくなると信じて日夜ネットで排斥活動にいそしんでいる人たちとか。

 

もちろん、人間の処理能力には限界があるので、先入観もレッテル貼りも極論も、ある程度は生きるために必要だ。

 

そして我々が単純化しがちなもの……それは恋人という存在である。

 

我々オタクは彼女ができれば、ストレスは消え、コンプレックスはなくなり、立場は良くなり、悩みは解決し、レポートは終わり、留年を回避し、就職が決まり、経済格差は解消され、犯罪はなくなり、人々はお互いを敬い、草木は歌い、動物たちは踊り、二酸化炭素排出量は減り、資源問題は解決し、空が今日も綺麗で、世界が輝いて見えるようになると信じている。

 

しかし、実際には彼女は万能の女神ではない。1人の人間だ。その事実を無視してアニメ世界の都合の良い女性像の幻影を追っているうちは彼女はできない。

 

 

 

……って彼女いるイキりオタクがよくTwitterで言ってるけど、好きな人といられたらそれだけで幸せだろうが!!!!!!全部解決してるだろうが!!!!!!!!!!!彼女が笑ったらそれで俺の世界は救われるんだよ!!!!!!!!!!うるせーばか!!!!!!!!!!!!!しね!!!!!!!!!!!!!!!!

 

 

 

 

 

精進したいと思います。

傷つきたくない

友人や恋人をできる限り批判したくない。実際ほとんどしないし、してもフォローを入れる。「あいつ協調性なさすぎるだろ……。まあ、別にいいんだけど……。」

 

これは僕の優しさからくる指向ではない。「あなたの不完全さを許すから、自分の不完全さも許してほしい」という態度の表れである。傷つきたくないから傷つけないだけである。人間は不完全だ……人間の不完全性について、人間は僕のように不完全さを許容するような態度をとるべきか?それとも、少しでもより良くあるために不完全さに批判的であるべきか?

 

不完全さを許容する態度にはふたつの問題がある。ひとつは、許容に甘えてお互いの良くない部分がいつまでも修正されない可能性があること。もうひとつは、そもそもあなたが誰かに許容的だからといって、その誰かもあなたに対して許容的だとは限らないということだ。

 

 

…………

 

 

書いていて苦しい。「相手の良いところも悪いところも受け入れる」……聞こえのいい世界から一歩もはみ出さず、そうして堕落もせず、良い、正しいおこないだけをできたらいいのにと思う。本当に傷つきたくないだけだ。批判されること、軽蔑されること、およそ自分が傷つく一切の行為から遠ざかっていきたいだけ。小さなプライドも、自分の存在価値を見出したい心も、全てが批判され、軽蔑されること……傷つくことを恐れている。なんて小さな人間なんだろう!他人の意見など気にせず、自分の価値観だけに従ってまっすぐに生きていけたらいいのに!

日記:目標と戦略

文章を書きたい夜というのは頻繁に訪れるが、残念ながら僕の毎日はその日の出来事を書いたら読み応えのある文章になるほど変化に富んではいない。現に、今日を振り返ってみると、チームプロジェクトの課題の中間発表が迫ってきて、進捗がおぼつかないので大学をサボって、プログラミングをしていたものの成果は芳しくなく、微妙な気分のままバイトに行って英語を教えて帰ってきてだらだらして現在に至る……意外と書けそうな気がしてきた。日記というものをひさしぶりに書くか。

 

最初に目覚めた時は9時だった。今日の授業は英語が三限にあるだけで、その授業を休んでプログラミングをするか、それとも大学に行くかの判断を昨日の自分から丸投げされていたので、ちょっと考えて、とりあえずもう一度寝た。明後日TOEICを受けることを考えると行ったほうが良いような気もするのだが、課題の進捗も非常に気になりなかなか決断できないので、いっそ寝過ごしてしまえば自分が選択をしなくて済むと思った。

 

次に起きた時は10時半くらいだった。まだ間に合う。もう一度寝た。

 

次に起きると12時前になっていた。これならもう間に合わない。安心して起きた。

 

昨日の時点では大学に行く方向に気持ちが動いていたので親には昼はいらないと伝えてあり、特に食べるものがない。外に出るのも面倒なのでカップラーメンを食べることにした。家に置いてあったのは見たことないブランドの謎カップ麺だけで、あんまり食べたくないなと思うと同時に、こう考える自分はブランド志向なのかなと思った。でも、ファッションとかと違って食品のブランドって”最低限の安全と美味しさの保証”に過ぎないわけだし……。どうでもいいことを考えながらノンブランド麺を啜った。

 

それから自分の取り組んでいるプログラムのソースコードについて考えた。プログラミングをする上でよく使われる考え方に”オブジェクト指向”というものがある。大雑把に説明すると、全てをモノ(=オブジェクト)として扱い、プログラミングを「モノがデータをやりとりする作業の連続」として捉える思想である。これは大規模な開発ではほぼ確実に用いられる考え方であるが、その哲学を全てのプログラマが理解しているかというとそうでもない。オブジェクト指向を適切に適用すれば、ソースコードの再利用生と保守性が高まると言われている。全てをモノとして扱うので、たとえば大富豪のプログラムを書いていて、神経衰弱も作ろうとなったら、「ルール」というオブジェクトは作り直す必要があるが、「カード」や「山札」、「プレイヤー」といったモノはそのまま再利用できる。また、それぞれができるだけ独立しているように作るので、たとえば仕様変更があって通常のトランプ以外にオリジナルのカードを入れよう、となったら「カード」の部分だけ修正すればよいし、バグが発生しても、バグの原因のオブジェクトさえ修正すればよい、という具合である。

 

変に詳しく書いてしまったが、要するにオブジェクト指向を極めれば後で楽ができるということだ。

 

しかし、今回の課題はおそらく発表が終わったら一生触ることはない。仮にまた似たようなことをやるとしても今の拙いコードを流用するより一から書き直したいし、大規模な開発でもないので僕の脳はいまのところプログラムの全容を完全に把握している。むしろ良質なコードにこだわりすぎて発表に間に合わないことのほうが問題ではないか?

 

そうは言っても、オタク気質からか、どうしても細部にこだわりたくなってしまう。もはや一から書き直したい。まだまだコードを書く中で成長している段階なので書いてるそばからどんどん自分のコードで直したい部分が出てくる。

 

もしこれでチームが優秀な人の集まりで、自分が自分の担当の分だけ確実に完成させればよいのであれば、こねくり回す時間もあったろうが、今回はあまりメンバーが優秀でなく、その中でプログラミングがそこそこできる二人もめっちゃ寡黙な人とゲームが大好きな中国人なので、必然的に自分がプログラミングの主力でありながら全体の統括もしつつ進捗ヤバいとこは手伝うみたいな立場になってしまったので、それどころではない。

 

まあ、愚痴っぽい感じで書いてものの、実は現状がそれほど不満というわけではない。もちろんもうちょっと余裕のある班がよかったと思うことはあるが、僕は怠惰な人間で必要に迫られなければあまり頑張れないので、こういう立場に置かれているべきなのかなとも思う。それに人に必要とされているのは嬉しい。この班は間違いなく自分がいなかったら崩壊するし、学科の人もよくお前らの班まるまるがいなかったら終わりだよねと言っている。僕は必要とされている人間で、生きてていいんだなと思える。自分がブラック企業にハマりそうで怖い。早くもっと真っ当な生きている理由がほしい。遠回しな言い方はやめよう。彼女がほしい!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

だいぶ話がそれたが、プログラミング哲学について考えたり調べたりしながらも多少は作業を進めて、そしたら今朝は10時間も寝たのに眠くなってきたので仮眠をとって、カレーを食べて塾に向かった。

 

塾にはAクラスとBクラスがあって、今日の担当は中3Bクラスの英語だった。僕は学校も塾も勉強も何もかも苦痛だったので、この生徒たちはよっぽど苦痛だろうなと思った。僕はどちらかと言えば優秀なほうだったからわからないことなんてひとつもなかったし問題は比較的すらすら解けたが、この子達はただでさえ退屈な授業を受けさせられた上に内容を理解するのにかなり苦労するしテストは間違いだらけなのだ。僕は中学生のころ勉強をクソゲーだなと思っていたが、この子たちからしたらクソクソクソクソクソゲーくらいだろう。塾に来てるだけでも偉いと思う。のでつい態度が甘くなってしまう。やるべきことはやってもらうけど。でも本当に英語なんかよりもっと他のことをやったほうがいいと思う。人は出来る限り自分の得意なフィールドを探してそこで成長するべきだ。そうは言っても生きていたら英語が必要になる機会ってすごく多い(たとえば、外国人客の多い場所で働くことになって、「日常会話レベルでいいから英語ができれば……」と思う人生には絶対にならないと断言できる中学生なんてほぼいないだろう)し、そういう時のために基礎知識を積んでおくことも、いま特にやりたいことがないのであれば、良い戦略だなとも思う。

 

つまらないことをたくさん書いてしまった。幸せになるという大元の目標を見失わずにいきたい。

劣等感

全てにおいてあらゆる他人より優れている人間なんて存在しないことは、パパとママが万能の神ではないとまだ知らない赤ん坊以外は誰だってわかる。それなのに僕は自分より優れている人間を見ては傷つき、自分より愛されている人間を見ては羨み、いちいち劣等感を覚えて傷ついている。他人と自分を比較することは不毛だ。自分の幸せを追え。わかっているのになぜ不幸な方向へ歩いていってしまうのか?人間の性質か?しかし、世の中には「一般には不幸だと思われる状況でも力強く幸せだと言い切っている真に幸福な人」も見かける。僕個人の問題か?幸せそうな他人が憎い、幸せそうな他人が憎い、幸せそうな他人が憎い、幸せそうな他人が憎い……良い本を読んでも良い人間にはなれないようです。きっと一片の迷いもなくただ「現状で幸せなのだからこれ以上はもう何もいらない」と言い切りさえすれば、そうさえすればいいんだろう。次に幸せだと感じたら必ずそうしよう。幸せを、二度とつかめるかも怪しいのだけれど。

満たされない

同じようなツイートを毎日、毎日、焼き直し。考えることすら放棄して、しょうもないツイートで痛みを麻痺させて、しかし満たされることはなく、今日も不満足な生活を思って眠れない。言い様のない欠落感に埋め尽くされている。焦燥感にも似た、この感覚に昔から振り回されてきた。毎日死ぬほどの愛情を浴びたら満たされるような気がして、ありもしない世界を明日も求めて、満たされないまま。

男子中学生

男子中学生はおおむねエロいことで頭がいっぱいな生き物です。当然、僕の塾の生徒たちも例外ではありません。授業後のことでした。

 

Aくん「おま……ん……おまんこ!」

さっきまで理不尽な拷問を受けさせられてるみたいな顔で英語の問題を解いていたのに、満面の笑みで言いはじめました。

ぼく「君は本当にそういうの好きだね……」

Aくんは雰囲気も普段のテンションもおとなしめの子ですが、なぜか下ネタだけはガンガン突っ込んできます。

Bくん「Aはやばい」

笑いながらそう言うBくんも隙あらば「先生彼女いますか?」などと聞いてきます。

Cくん「先週なんて言ってたんだっけ、ほら先生のこと」

Bくん「先生のグングニール」

Cくん「それだ」

Bくん「結局あの棒と先生のグングニールどっちのほうが太いんですか?」

ぼく「あのさあ……」

僕は中学生の頃はかなり奥手で、そういう言葉なんて恥ずかしくて口が裂けても言えないタイプで、友達間でそういう話になると逃げるか黙りこんでしまうタイプだったので、毎年この子たちのような自由な中学生たちを見ていると少し羨ましく思います。でもそれはそれとして先生にセクハラするのはやめよ?

Cくん「先生童貞ですか?」

また聞いてきました。

ぼく「内緒」

Aくん「えー教えてくださいよ」

ぼく「内緒……いや、」

そのときもう教室に男子しか残っていなかったこともあり、なんとなく言ってみました。

ぼく「童貞じゃないよ」

今でもこういう話題はあんまり得意ではないので、なるべく平静を努めて言いました。

Bくん「ええー!?」

Cくん「うそ!?」

ぼく「まあ俺だってもう22歳だしそりゃあね……」

Bくん「22歳でもうやってるって早くないすか!?」

煩悩で頭がいっぱいなわりにピュアなの愛おしい。

Cくん「誰とですか?」

ぼく「そりゃ彼女でしょう」

Aくん「どれくらい気持ちよかったですか?」

ぼく「君ほんと言うことがえげつないよね」

Bくん「本当だよほら先生顔赤くなっちゃってるじゃん」

ぼく「えっ」

大人の余裕を見せながらさらっと会話してるつもりだったんですが、顔に出てたみたいです。肌が白めなせいか照れるとすぐ赤くなっちゃうんですよね。もう絶対言わない。。。

 

でも、こんなくだらないやりとりですが、帰り際に「英語の先生が一番おもしろいわ」と言ってるのが聞こえて嬉しかったです。舐められてるだけなんですけどね。それでも顔は赤くなってしまう……。