日記:目標と戦略

文章を書きたい夜というのは頻繁に訪れるが、残念ながら僕の毎日はその日の出来事を書いたら読み応えのある文章になるほど変化に富んではいない。現に、今日を振り返ってみると、チームプロジェクトの課題の中間発表が迫ってきて、進捗がおぼつかないので大学をサボって、プログラミングをしていたものの成果は芳しくなく、微妙な気分のままバイトに行って英語を教えて帰ってきてだらだらして現在に至る……意外と書けそうな気がしてきた。日記というものをひさしぶりに書くか。

 

最初に目覚めた時は9時だった。今日の授業は英語が三限にあるだけで、その授業を休んでプログラミングをするか、それとも大学に行くかの判断を昨日の自分から丸投げされていたので、ちょっと考えて、とりあえずもう一度寝た。明後日TOEICを受けることを考えると行ったほうが良いような気もするのだが、課題の進捗も非常に気になりなかなか決断できないので、いっそ寝過ごしてしまえば自分が選択をしなくて済むと思った。

 

次に起きた時は10時半くらいだった。まだ間に合う。もう一度寝た。

 

次に起きると12時前になっていた。これならもう間に合わない。安心して起きた。

 

昨日の時点では大学に行く方向に気持ちが動いていたので親には昼はいらないと伝えてあり、特に食べるものがない。外に出るのも面倒なのでカップラーメンを食べることにした。家に置いてあったのは見たことないブランドの謎カップ麺だけで、あんまり食べたくないなと思うと同時に、こう考える自分はブランド志向なのかなと思った。でも、ファッションとかと違って食品のブランドって”最低限の安全と美味しさの保証”に過ぎないわけだし……。どうでもいいことを考えながらノンブランド麺を啜った。

 

それから自分の取り組んでいるプログラムのソースコードについて考えた。プログラミングをする上でよく使われる考え方に”オブジェクト指向”というものがある。大雑把に説明すると、全てをモノ(=オブジェクト)として扱い、プログラミングを「モノがデータをやりとりする作業の連続」として捉える思想である。これは大規模な開発ではほぼ確実に用いられる考え方であるが、その哲学を全てのプログラマが理解しているかというとそうでもない。オブジェクト指向を適切に適用すれば、ソースコードの再利用生と保守性が高まると言われている。全てをモノとして扱うので、たとえば大富豪のプログラムを書いていて、神経衰弱も作ろうとなったら、「ルール」というオブジェクトは作り直す必要があるが、「カード」や「山札」、「プレイヤー」といったモノはそのまま再利用できる。また、それぞれができるだけ独立しているように作るので、たとえば仕様変更があって通常のトランプ以外にオリジナルのカードを入れよう、となったら「カード」の部分だけ修正すればよいし、バグが発生しても、バグの原因のオブジェクトさえ修正すればよい、という具合である。

 

変に詳しく書いてしまったが、要するにオブジェクト指向を極めれば後で楽ができるということだ。

 

しかし、今回の課題はおそらく発表が終わったら一生触ることはない。仮にまた似たようなことをやるとしても今の拙いコードを流用するより一から書き直したいし、大規模な開発でもないので僕の脳はいまのところプログラムの全容を完全に把握している。むしろ良質なコードにこだわりすぎて発表に間に合わないことのほうが問題ではないか?

 

そうは言っても、オタク気質からか、どうしても細部にこだわりたくなってしまう。もはや一から書き直したい。まだまだコードを書く中で成長している段階なので書いてるそばからどんどん自分のコードで直したい部分が出てくる。

 

もしこれでチームが優秀な人の集まりで、自分が自分の担当の分だけ確実に完成させればよいのであれば、こねくり回す時間もあったろうが、今回はあまりメンバーが優秀でなく、その中でプログラミングがそこそこできる二人もめっちゃ寡黙な人とゲームが大好きな中国人なので、必然的に自分がプログラミングの主力でありながら全体の統括もしつつ進捗ヤバいとこは手伝うみたいな立場になってしまったので、それどころではない。

 

まあ、愚痴っぽい感じで書いてものの、実は現状がそれほど不満というわけではない。もちろんもうちょっと余裕のある班がよかったと思うことはあるが、僕は怠惰な人間で必要に迫られなければあまり頑張れないので、こういう立場に置かれているべきなのかなとも思う。それに人に必要とされているのは嬉しい。この班は間違いなく自分がいなかったら崩壊するし、学科の人もよくお前らの班まるまるがいなかったら終わりだよねと言っている。僕は必要とされている人間で、生きてていいんだなと思える。自分がブラック企業にハマりそうで怖い。早くもっと真っ当な生きている理由がほしい。遠回しな言い方はやめよう。彼女がほしい!!!!!!!!!!!!!!!!!

 

だいぶ話がそれたが、プログラミング哲学について考えたり調べたりしながらも多少は作業を進めて、そしたら今朝は10時間も寝たのに眠くなってきたので仮眠をとって、カレーを食べて塾に向かった。

 

塾にはAクラスとBクラスがあって、今日の担当は中3Bクラスの英語だった。僕は学校も塾も勉強も何もかも苦痛だったので、この生徒たちはよっぽど苦痛だろうなと思った。僕はどちらかと言えば優秀なほうだったからわからないことなんてひとつもなかったし問題は比較的すらすら解けたが、この子達はただでさえ退屈な授業を受けさせられた上に内容を理解するのにかなり苦労するしテストは間違いだらけなのだ。僕は中学生のころ勉強をクソゲーだなと思っていたが、この子たちからしたらクソクソクソクソクソゲーくらいだろう。塾に来てるだけでも偉いと思う。のでつい態度が甘くなってしまう。やるべきことはやってもらうけど。でも本当に英語なんかよりもっと他のことをやったほうがいいと思う。人は出来る限り自分の得意なフィールドを探してそこで成長するべきだ。そうは言っても生きていたら英語が必要になる機会ってすごく多い(たとえば、外国人客の多い場所で働くことになって、「日常会話レベルでいいから英語ができれば……」と思う人生には絶対にならないと断言できる中学生なんてほぼいないだろう)し、そういう時のために基礎知識を積んでおくことも、いま特にやりたいことがないのであれば、良い戦略だなとも思う。

 

つまらないことをたくさん書いてしまった。幸せになるという大元の目標を見失わずにいきたい。