【自分語り】僕と勉強

僕は普段、あまり自分の進路選択の理由を人に話さない。

それは真面目な話をするのが恥ずかしいからというのもあるし、自分はモチベーションが複数あることが多いので正確に説明するのが難しいというのもある。

でも、今回は学生の終わりというひとつの区切りを迎えたので高校から大学院卒業まで、自分が勉強について考えていたことをできるだけ書いてみようと思う。

 

高校

高校生のころ、僕は本気で勉強するのはコスパが悪いと考えていた。学生時代を犠牲に自分の限界ギリギリまで頑張って学歴社会のミルフィーユを一段登るのが、人生をトータルで見て本当に良いことなのだろうか?自分は幸いにも勉強がそこそこ得意で、ろくに勉強せずともMARCHくらいにはいけそうだった。まあまあの学歴で、そこまで頑張らずとも周りの人たちよりちょっと出来が良い人間として評価される世界で穏やかな生活を送るのが幸せなのではないか。

一方で、僕は自分には勉強くらいしか取り柄がないとも思っていた。僕は身長は低いし、コミュ力もないし、オタクだし、目も悪いし、足は遅いし、顔も良くないし、人としての魅力がほとんどなかった。当時僕のことを好いてくれる女の子が一人だけいたが、きっと勉強もできなくなったらいよいよ何の価値もなくなった僕は見放されてしまうだろうと怯えていた。

ただ、この頃は希死念慮が強く、自分は成人する前に死ぬと信じて疑わなかった。死ぬのが怖くてあと一歩を踏み出せずにいたが、自分の理性は数年のうちにはきっと本能に打ち勝ち、この苦しい世界を終わらせるだろうから、勉強なんてするだけ無駄で残された時間を楽しむのが有意義な過ごし方である。

 

結局この頃僕は勉強に対して強い意味を見いだしていなかった。国立に落ちた時点で自殺しようと決心していたが、じっと電車を見つめるばかり結局あと一歩を踏み出すことはできなかった。受験が終わった時点で告白しようとも考えていたが、浪人することになったので一年後に先送りにした(当時は「勉強しか取り柄のない人間を好きになるような相手が、浪人中に告白なんかして喜ぶわけがないから」と理由づけていたが、今思い返すと怖かっただけかもしれない。それから一応言っておくが、相手が僕のことを好きだというのは僕の思い込みではない。そんなにヤバいやつではない)。

浪人

この記事の主題ではないので詳細は省くが、この一年は人生で最もつらい時期だった(この一年は今でも僕の性格や人生に大きな影響を与えているので、いつか書けたらと思う)。勉強どころではなく、予備校をサボって太宰治を読んでばかりいた。結局理科大に行くことになった。

大学

入学した時点で大学院受験のことを意識してはいた。まあ、6年間も田舎に通うのは嫌たし、学費も半分になるし、学歴厨である親戚一同も少しは浮かばれるだろうという軽い気持ちではあったが。

 

大学生活が進むにつれて、ある種のもどかしさが募っていった。僕はもともとパソコンとかインターネットが大好きで情報科に進んだ人間だったので、同じようにプログラミングやハードウェアに興味を持つような友人を期待していたが、残念ながらなぜか僕の周りはなんとなくこの学科に来たけどパソコンとか興味ないという友達が多かった。友達としてはすごく良い人たちで今でも仲良くしているけど、活動を行う環境としては不満だった。また、本当にこのままぬるま湯に浸かってていいのか?という疑問と、自分が本気でやってどこまで通用するのか試してみたいという気持ちが燻りはじめた。

 

一番の転機となったのは、正確な時期は忘れたが、たぶん三年生になる前の春休みに、当時付き合っていた彼女に「ろくろくんが頭良いのは知ってるけど、やればできるけどやらないみたいな態度はダサいよ」と言われたことだった。彼女は地元の中学の同級生だったので、僕が”全然勉強してないけどけっこう点取れたわ”みたいな感じでイキってる嫌な奴だということをよく知っていた。僕自身がちょうど今のままでいいのか悩んでいたこともあり、この言葉は強烈に僕を後押しした。それに、彼女は彼女自身が不器用なほどに真面目に頑張る性格で、その性格が好きで影響を受けていた僕にとって彼女の言葉はとても大きかった。まあ彼女には2ヶ月後にフラれたけど。もともと専門科目の増える三年生からは勉強に本腰を入れようと予定していたこともあり、ほとんどのサークル活動をやめ僕は勉強に多くの時間を割きはじめた。専門科目はどれもおもしろく、やはり自分はこの分野が好きだと確信し真剣に研究したいという気持ちも高まった。3年後期には周りにも大学院受験することを話し始め、春休みは図書館にこもり受験勉強とパズドラに集中した(この時に僕は、自分がおとなしく教科書を読み問題を解くことだけに集中するのは真面目とか本気とかの問題ではなく原理的に無理なのだと悟った)。元カノの言葉がずっと頭の中でリフレインしていた。

 

受験本番は圧倒的高得点というわけにはいかなかったが、まあたぶん受かっただろうくらいの点数は取れて、東工大に行くことになった。

大学院

受かりはしたが、問題はここからである。僕の目的は、興味のある研究の世界に飛び込んでみるということを除けば「やればできる子であることを証明すること」と「自分が本気で頑張ってどこまでいけるのかを知ること」である。大学院受験に受かったことで多少は達成できたかもしれないが、一般に、大学院受験は同じ学校の学部を受けるより受かりやすい。僕の受けた専攻の場合、だいたい外部生で落ちるのは半分、内部生で落ちるのは1割くらいだったから、まあ入学後ずっと遊んでいたような人たちよりはマシである程度のことしか言えない。なにかしら、胸を張って自分はこの学校の同級生の大半より優秀だったと言えるような成果を出す必要がある。というか、大学院受験は学歴ロンダリングと揶揄されることがあり、プライドの高い僕としてはなあなあで卒業して最終学歴が変わっただけみたいな形になって叩く隙を見せるのは絶対に嫌だった。

 

ここで問題になるのは、一年分のハンデである。理科大でも東工大でも、研究室に最初に配属され研究を行うのは大学四年生である。大学院進学時にもう一度振り分けはあるが、基本的には同じ研究室に進み、三年間同じ研究室にいることになる。それに対して院進すると当然研究室が変わる。特に僕の場合、学部時代の研究室は進学先の研究室と全く違う分野だった(その上、教授が今年退官で全然やる気がなくほとんどまともに研究しないまま終わった)。一応進学先が決まった4年後期には週2で進学先の研究室のゼミに参加し勉強してはいたが、それでも普通3年かけて勉強するものを修士の2年間でやる必要があった。

 

入学後、僕は土日も含め毎日最低8時間は勉強/研究することを自分に課した。平均的な学生は週に40時間くらい研究するだろうと見積もり、3年分を2年でやる僕はその1.5倍費やさないといけないので土日を含めて週56時間である。残りの4時間は4年後期の貯金で賄えるだろうという計算だった。流石にこのルールを完全に守れたかというと微妙だが、それでも今までにしたことのない量を勉強した。かなり苦しんで投げ出そうと思うことも多かったが、研究は興味深く楽しくやりがいがあった。最終的にはふたつの学会で受賞し、分野で最難関の国際会議にも論文が採択された。研究そのものだけでなく、フロントエンドやバックエンド、AWSも多少勉強して研究のデモを作って会社で実際に使ってもらったりもした。立ち上がったばかりの研究室だったのでサーバーの導入や管理、ネットワーク環境の整備などもした。振り返ってみて、僕が自分に期待していたほどではなかったけれど、それなりの能力は示せたんじゃないかなと思う。

おわりに

この数年間はそれなりに満足している一方で、多くの後悔もある。特に、今の彼女と付き合いはじめた修士一年の11月以降は8時間ルールも全体的な勉強量も落ちてしまった。彼女がいなければ精神的にしんどい研究生活を続けられなかったとも思うのでしょうがないことではあるが、それでも自分がもっと精神的に強ければより多くのことを学べただろうと思うと悔しい。もっと基礎をしっかり勉強していれば理解も深まっていただろうし、研究ももっと手数を多くできればより良いものになっただろうと感じている。努力もまた才能であり、自分はその才能にはあまり恵まれておらず、それが自分の限界なのだと思い知った。また理解力や記憶力に関してもこのレベルだと普通程度でしかないのだと思い知ったし、特別研究の才能があるわけでもなかったし、特別エンジニアリングの才能があるわけでもなかった。僕は人より少し勉強ができて少しコンピュータが好きなだけの凡人だった。

 

とはいえ、僕の過去に棲む亡霊をいくらかは倒せたように思う。それに、僕はやはりコンピュータサイエンスが好きだと確認できたこともよかった。この数年を通して人生に対する絶望もさらに深まり、いよいよ死ぬのが一番マシな選択肢だと改めてわかったけれど、どうせ死ねないのだから少なくとも開発や研究をやっていて楽しいと感じられるこの世界で生きていけたらなあと思う。